最終回によせて、文春オンライン様で『なつぞら』について書かせて頂きました。
書きたいことはほぼ上の記事で書いたのですが、文字数的に入らなかったこともあれこれ。
『なつぞら』ってたぶん、視点によって賛否がわかれるドラマだと思います。
例えば「奥山玲子をドラマ化するはずだったのにレジェンドヒロインとかイケメンとか色々出し過ぎてテーマがボケた、東映動画の労働争議も書けてないじゃないか、磯プロデューサーは日和った」という批判はその視点でみれば確かにそうなんですけど、僕の視点は逆で、
「そもそも朝ドラ100回記念作品、広瀬すずが主演しレジェンドヒロインが大挙出演することが最初から決まってる枠に、磯プロデューサーが力業で奥山玲子を(非公式とはいえ)題材にねじこんだドラマ」
という感じなんですよね。
放送前にはアニメファンの間ですら彼女を知らない人って沢山いたと思います。ましてや一般人に「あの奥山玲子さんをドラマ化しますから見てください」というアピールできるタイプの歴史上の有名人ではないんですよね。しかもアニメを題材にするのなら、別に東映動画や奥山玲子さんをモデルにしなくても、他の女性アニメーターをモデルにする選択肢もあった。でも小田部羊一さんの話を聞くと、最初から「女性アニメーターといえば奥山玲子さんだから」という感じでその夫である小田部羊一さんに話を聞きに来ている。最初から危険牌をつかみに行ってるんですね。
だから大森寿美男氏にとっては、多元連立方程式を解くみたいな脚本になった部分があったと思うんですよ。北海道も東京も書かなくてはいけない。レジェンドヒロインを出して、それぞれにその見せ場を与えなくてはいけない。東映動画のアニメの歴史をなぞらなくてはいけない。そしてもちろん、視聴率を取らなくてはいけない。
なつぞら批判でよく「なつが周りの人に甘やかされてる」とか「まわりを悪者にしている」みたいなのがありましたけど、まったく逆で、あれは周りの登場人物を光らせるためになつを助けさせている。
例えばの話、仲さん、井浦新さんなんて『アンナチュラル』みたいな鬼上司にした方がドラマとしては面白くなるんだけど、おそらくそれをやったら「森康二さんはこんな人じゃなかった、優しかった」「広瀬すずを引き立てるために周りを悪者にした!」と爆発してたと思います。「魔界の番長」をなつの娘が怖がるという描写だけで「デビルマンを批判するのか!」って炎上しかけたわけだから。薄氷を踏むみたいな脚本だったと思うんですよ。レジェンドヒロインをたくさん出すがゆえに、しかも現実のモデルを想起させるがゆえに、悪役やいじめ役を出してドラマを盛り上げるわけには行かなかったというのが実際のところだと思う。
東映動画の労働争議も、もちろん政治的に、あるいは国民世論的に赤旗振り回したら反発が大きいというのもあったと思うんですが、そもそもこの『日本のアニメーションを築いた人々』を読むとわかるんですが、東映動画の労働争議ってマジで書いたらとんでもなく深くて面倒くさい話なんですよね。歩合制ではなく月給制を勝ち取ったあと、アニメーターたちの生産量が落ちることに対して宮崎駿がブチ切れたりするわけ。だってそのために、無理な労働しなくてすむために運動やってるわけだから矛盾なんだけどさ、宮崎駿ってそういうの許せない人なわけですよ。で、労働組合から「お前は組合と対立する能力主義だ」って指弾されたりするわけです。これを話しているのが奥山玲子さんで、とにかくとんでもなく面白い本。
これを読むと「なぜドラマでやらなかった」というより「こりゃ朝ドラでは無理だわ」という感想しかないんですよ。人間関係にしても、人がイメージするような良いことばかりではない。切れば血の出るような話、古い傷口に触れるようなことが沢山あるわけです。そもそもなんで労働組合でみんな団結して要求を通したはずなのに高畑勲も宮崎駿もみんな辞めて行ったのかとか。これは他の書籍で宮崎駿が語ってるけど、高畑勲が辞めるときはもう道で会っても挨拶しないみたいに言った人もいる、ある意味では裏切り者として見られたりするわけ。宮崎駿も高畑勲も東映動画の労働争議の話をあんまり楽しそうにしてるの見たことないでしょ?学生運動自慢の団塊おじさんみたいに「いいかおまえら、俺たちはあの頃はさあ」みたいに言わないのはそれなりに理由がある、やっぱり人と人がぶつかるからきれいごとではすまないんですね。それを朝ドラのあの「なつが坂場君を指さした!指さしたね!父さんにも指さされたことないのに!」みたいな異常に傷つきやすい視聴者層を相手にやるのは、無理。
アイヌにしてもそう。明らかに大森さんは描くつもりだったと思います。高校演劇もアイヌ民話、ホルスもアイヌ伝承がアイデア発端、アイヌ民族運動家を母親に持つ宇梶剛士さんもキャスティングしていた。スピッツの主題歌にも「辿り着いたコタン」というフレーズが入っている。ただ、やっぱりあの枠では扱いきれないんですね。
渡辺麻友さんが演じた茜ちゃんも、先行して宮崎朱美さんがモデルとネットで言われたことによって扱いが難しくなったのではないかと思う。あれやっぱ神地くんと結婚する脚本だったんじゃないかと思うんだけど、上の記事でも書いた通り、宮崎駿って「妻に仕事を辞めてくれと頼んだ日のことを彼女は今も怒ってる」みたいなことをインタビューで言ってたりするんですよね。
これもNHKと宮崎駿の関係もあるし、どう燃えるかわかんない話なんで、おいそれとは扱えなくなった。それで茜ちゃんの扱いが難しくなったみたいなところもあったと思う。
ただ、すごく印象に残ってるのは、「別にモデルが誰でもいいけど、宮崎駿と結婚しないと朱美さんは朱美さんじゃなくて他の女性がモデルだったことになるのか、朱美さんが宮崎駿じゃなくて他の男性を選んだことにならず『宮崎駿の妻じゃないなら誰々の妻がモデルだ』となっていくネットの論調がすごく不思議」という意見があって、これは本当にそうだなと思いました。
この講談社から出た『漫画映画漂流記』でも宮崎朱美さんがインタビューに答えていて(異例のことだと思う)「私も結婚した後も奥山玲子さんのように大田朱美の名前で職場で通していた」「(宮崎駿に)仕事を辞めてくれと言われて腹立たしかった。『私、描けるのに』」と語っています。たぶんメディアに対して彼女がこれを語ることって初めてじゃないかと思うんですよね。ある種のMetooというか、朱美さんも奥山玲子さんと同じように、男性の才能の影にされたHiddenFiguresの一人だったということだと思う。
この本の1番いいところは、朱美さんが奥山玲子さんの銅版画についての意見で、すごく批評的な、見方によっては厳しい意見を言うんですよね。ただの仲良しじゃない、切磋琢磨するライバルだったんだという、それはある種の誇りのように見えました。奥山さんは12年も前に70歳で亡くなられて、朱美さんもかなりの高齢だと思うんですけど、そこには何というか、奥山玲子さんと違って途中でペンという剣を捨てなくてはならなかった剣士の無念と、そして亡くなった友人への誇りのようなものがある気がするんです。
一方で、茜というキャラクターには「本当に仕事がすべてなのか、男女問わず家庭は顧みなくていいのか」ということもこめられていたと思う。これも宮崎朱美さんのエピソードで、ジブリ設立以降は宮崎駿という夫をほとんど会社に奪われたような形になって、出展がちょっと出せないんだけど、鈴木敏夫に対して直接不満をのべたというような話を読んだ記憶があるんですよね。(「もう宮崎を返してください」と鈴木敏夫に頭を下げたというような話だった記憶、知ってる方教えてください)だから、茜というキャラクターにはすごく大事なテーマがこめられていたと思う。それが描き切れていたかというと足りなかった面はあるけど。
これは復刊された奥山玲子さんの絵本。
最後に、アニメーションを担当したササユリの代表、舘野仁美さんの『エンピツ戦記』の紹介を。
「なつぞら」で一番大変だったのはこのアニメパートだったと思うんですよね。宮崎駿たち天才の作った黎明期のアニメを劇中で再現しなくちゃならないわけだから。「美空ひばりをドラマ化するんですけど、美空ひばりそのものは広瀬すずが演じますので、ちょっと美空ひばりっぽく歌ってもらえますか。あっ、そういう今風の歌い方じゃなくて、昭和の音質で。ギャラはあんまりでないんですけど、できるだけ天才・美空ひばりっぽくお願いします」みたいな依頼を引き受けたのが舘野仁美さんたちのチームだと思うんですよね。無茶苦茶じゃねえかよく引き受けたなっていう。でも『なつぞら』の影のMVPだったと思います。
舘野仁美さんの『エンピツ戦記』で面白いのは、もちろんジブリの良かった経験も多く書いてあるんですが、一部ほとんど宮崎駿内部告発に近い感じのエピソードも豊富で、宮崎駿がロック風の格好してる若いアニメーターが気に食わなくてデニム禁止にしたとかさ、ほぼパワハラなんですよ。