わずか25分間の短編映画『正しいバスの見分けかた』全席完売からシネマート新宿で再公開へ。関西弁の中条あやみは界王拳のごとく演技力が数倍になる

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明日、9月13日からシネマート新宿で、一週間限定で『正しいバスの見分けかた』という映画が上映される。わずか25分の短編なので、『なれない二人』という別の中編映画との同時上映である。この作品は今から四年前、群馬県の「伊参スタジオ映画祭」において、当時高校生だった高橋名月という女性がシナリオ大賞を受賞した脚本を、本人の監督によって映画化したまま映画である。わずか25分の短編だったこともあり、商業公開の予定はなく、映画祭など限られた場所で公開されただけで、ほとんど話題を呼ぶこともなく四年間も眠り続けていた。

先月8月、『正しいバスの見分けかた』は同じシネマート新宿で限定公開され、そしてすべてのシートが全日にわたって完売する状況となった。撮影された四年前に比べて中条あやみが『アナザースカイ』のアシスタントから(卒業したけど)民放連ドラの主演まで張るスター女優に成長したという面もあるし、同時上映の『なれない二人』(こちらも良い出来である)を見に来た観客も多かったと思う。

でも、やっぱりこのたった25分の映画はお金を払って価値があると思う。僕も先月見たのだが、17歳の高校生が脚本を書いて18歳の大学生になって撮影したという驚きだけではなく、映画としてちょっと驚くほど良いのだ。

たった25分の短編である。ストーリーと呼べるほどのストーリーはない。どこともわからない、何もない田舎町に高校生の男女がいる。男の子は女の子に恋をしていて、なんとかきっかけをつかもうとする。彼らは関西弁を話すのだが、その会話だけを追った映画である。他には何もない。でもこれが素晴らしいのだ。中条あやみがまだ18歳、女優としての駆け出しのころに撮られた映画だが、ほとんど彼女のベストアクトに近いと思う。

四年前の中条あやみと言えば、女優に自信が持てず、オーディションで監督になじられて「辞めようと思っていた」と語ったこともある時期だ。実際、このころの中条あやみの演技は硬いし、大きな声も出ない。

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でも、この『正しいバスの見分けかた』を見た人は驚くのではないかと思う。東京弁で演技している彼女とはまったく別人のようにリラックスして、シャンソン歌手の歌うフランス語のささやきのように美しい関西弁が自然に流れ出る十八歳の中条あやみ(当時、高橋名月監督と同世代である)がここにはいる。

関西弁の会話劇というと、のちに中条あやみが出演する『セトウツミ』を思い出す人も多いと思うが、この映画は『セトウツミ』の映画化やドラマ化の前に脚本が書かれ、撮影されている。漫画原作は始まっているので高橋名月監督が原作漫画にインスパイアを受けた可能性はあるが、その作品の方向性は『セトウツミ』とも違う。何よりも、実をいうと『セトウツミ』の中条あやみより、『正しいバスの見分けかた』の中条あやみの方がさらに良いのである。

自主制作映画の多くがそうであるように、『正しいバスの見分けかた』にはBGMやサウンドトラックというものがほぼない。あるのはぼそぼそと話す男女の高校生の会話する声と、自然の音だけである。関西弁の会話劇と聞いて関東の人間が想像するようなノリとツッコミの漫才風でもないし、いわんやミュージカルのようにセリフを歌い上げるわけでもない。でもその途切れがちな会話はやはり音楽のように美しいリズムを持っている。無音のコミュニケーションが映画の中を流れているのだ。

中条あやみが演じる鮫島は、ある日、宇宙人を見たと友人の女子につぶやく。彼女は大きく驚くわけでもなく、無視して流すわけでもなく、「やばいな」と静かにその会話に応じていく。日常の中に落ちた異物、川に落ちた小石を受け入れていくように。そこには断絶があり、構築がある。他者がいて、会話がある。

 

若手監督、いやベテランも含めて、物語の中でコミュニケーションを描くことが難しくなっている。現実には他者と他者はこんなに簡単にコミュニケーションが成立しない、という方向にいけばそれは文学映画になるし、虚構として最初からあっさりと主人公を受け入れ愛する人物たちを配置すればそれはファンタジーになる。高橋名月という若い監督はそうではなく、距離を持った自我がおたがいに歩み寄る様子を、関西弁という美しい言語を使ってこの25分間で丁寧に描いている。

そこにあるのはできるだけリアルな、そしてとても切実なコミュニケーションである。四人の男女はお互いの距離を測りながら、どうにか彼らの中に信頼とコミュニケーションを建築しようとする。わずか十八歳の高橋名月監督が四年前に脚本を書き、そして映画監督として映画祭の大人たちの力を借りて撮影したものはそれだと思う。そしてそれは、四年後の今見てもまったく輝きを失っていない。

この映画を言葉で説明するのはとても難しい。それは静かに流れるジャズの演奏を「ここでサックスが鳴って、そしてピアノが」と説明しているようなものかもしれない。でもこれは、間違いなく良い映画だし、高橋名月監督には間違いなく映画の才能があると思う。彼女は映画の中で言葉を音楽に乗せることができる。流れる川の水のように柔らかい関西弁の言葉が、少年と少女の心の間に慎重に、魔法のようにコミュニケーションの橋を架けていく。

(25分の短編ですが、ここから少しネタバレを含みます)八月に公開されたとき、ロビーで客の相手をしてくれている高橋名月監督と少しだけ話した。十八歳の中条あやみは、この映画の脚本、その会話について「わかる!」ととても共感して演技してくれていたそうだ。映画のクライマックスで、宇宙人を見たという中条あやみ演じる少女は、それは本当は宇宙人ではなかったのかもしれない、とつぶやく。映画では明示されないのだが、そこには明らかに何かの不吉な、そして残酷な現実が暗示される。彼女の同級生の少年はそれを静かな関西弁でひきとる。それは『UFOが釧路に降りる』から始まり『蜂蜜パイ』で終わる村上春樹の最も有名な連作短編『神の子供たちはみな踊る』の結びを思わせる。

 高橋名月監督や、中条あやみがこの短編集を読んだことがあるのかどうかは知らない。でもこのたった25分間の映画で語られていることは他者とのコミュニケーションをめぐる物語であり、村上春樹の『蜂蜜パイ』に登場する地震男、人間を分断された意識の箱に封じ込めようとする力、その力との対決を主人公が決意するあの小説が書いたものとそんなに遠くないように思える。それは青春という未知との遭遇の物語であり、男の子と女の子の文明のファーストコンタクトの物語なのだ。だから、『宇宙人を見たことがあるという変な女の子を演じてみてどうでしたか』という質問に『私も見たことがあるので共感できましたよ』と東京弁でしれっと答える中条あやみは、やっぱり素敵な女優なんじゃないかと思うんだ。本当に見たことがあったらごめんだけど。

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繰り返しになるけど、このたった25分間の映画は明日13日から一週間限定でシネマート新宿で再上映される。25分で1800円はちょっとなあ、という人も、同時上映の『なれない二人』(こちらは中編である)も良い映画だから安心してほしい。でも、やっぱり『正しいバスの見分けかた』というこの25分の映画はもっともっと多くの人に知られるべきだし、山戸結希監督は次の『21世紀の女の子』プロジェクトに高橋名月監督を呼んでほしいと思う。今はHuluやネットフリックスなど多くの配信サービスがあるので、そういう形式での公開も希望したい。とにかく良い映画なので。