映画『初恋』感想。「弱者と強者」の視点から東映ヤクザ映画のルネサンスに成功した大傑作!韓流華流ハリウッドとも戦える名作の誕生

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延期になったドラえもんとしまじろうの席割りを『初恋』にわけてくれ!

 どうしても今、この瞬間に全力で薦めたい映画というものがある。たとえその映画が冒頭から生首が切り落とされる暴力描写でPG12にレートされていても。たとえ世界を覆うコロナウィルス騒動の影響で、映画館の出足が壊滅し、興行的に苦戦していても。台風の直撃で初週が壊滅してしまったアニメ映画『空の青さを知る人よ』がそうだったし、三池崇史監督の最新作『初恋』もそういう映画である。「ああ、三池監督のそれ系の映画ね」とあなたは思うかもしれない。でもこの映画には、「三池崇史監督の振り切れた快作で、ベッキーの振り切れた怪演がみどころでうんぬん」と言ったありきたりの説明の十倍くらいの情報と構造が詰め込まれている。脚本の中村雅氏の力が圧倒的だと思う。

 

脳腫瘍で引退を宣告されたボクサーとヤクザに追われる少女、という予告編の映像の切れ味から、ある程度出来のいい映画であることは予想していた。でも実際にはその何倍も濃密な情報に満ちた、東映ヤクザ映画のルネッサンスと呼んでいいほどの記念的傑作になっていると思う。日本の暴力団とチャイニーズマフィアの対立を題材にとり、日本刀と青竜刀が火花を散らすようなステレオタイプを踏襲しながら、そこには日本と中国の関係が投影され、中国で絶大な人気を誇り、同時に東映ヤクザ映画の代名詞でもある「タカクラケン」の名前が映画に重要な役割を果たす。これはギャング映画でありながら、日本映画と中国映画の、そして東映自身についての自己言及なのだと思う。

 

抗争する二つのギャングの間を逃げる主人公とヒロインという脚本は、ある意味で黄金パターンのひとつと言ってもいい構造だ。だが、台詞のひとつひとつ、俳優の演技のひとつひとつがそれに素晴らしい深みと複雑な陰影を与え、この映画を素晴らしいものにしている。こういう映画を説明するのはとても難しい。「ここがいいんだよ」「これには驚いた」と書くことすべてが取り返しのつかないネタバレになってしまう。僕はそれをあなたに最初に映画館で出会ってほしいのだが、なんとかそれを説明しないとあなたはこのご時世に映画館に行ってくれないのだ。行ってくれさえすれれば、一昼夜明かしても語りきれないほど多くの機知とセンスがこの映画には詰め込まれているのだけど。

この脚本は「強いぞ怖いぞスゲーぞ」というバイオレンスのハッタリの対比として、強くないもの、貧しさの中をさ迷う孤独なボクサーの青年と行き場なく消費される少女、という弱者のモチーフを置いたことで、東映ヤクザ映画のルネッサンスに成功していると思う。ヤクザとカタギ。強者と弱者。プロとアマチュア。ボクサーである主人公が振るう拳という非殺傷兵器は、ヤクザと中国マフィアが振り回す刀や拳銃という殺傷兵器と対比的に描かれる。本当に多くのことがここにつめこまれている。「いつもの三池監督のバイオレンス映画」という表面のコーティングに隠されて。

名作ホラーに対して「ただのビックリ箱ではない」という形容がされることがある。『初恋』も、ある面においては遺憾なく三池崇史監督的なバイオレンスのビックリ箱的な演出はある。それはもう、次から次へと陽気に楽しく暴力が飛び出すバイオレンスジャンルムービーだ。PG12で済んだのが一番のビックリというくらいである。でもこの映画の底には、大きく深い、映画の海まで続く川のような底流が流れていると思う。ホラーやSF、歴史に名を残すジャンルムービーがしばしばそうであるように。

 

 

 

俳優陣の素晴らしさについても書いておきたい。窪田正隆は『東京喰種』や『アンナチュラル』でのナイーヴな青年の演技が印象に残っていた。『ダイナー』で演じたスキンという殺し屋の演技では、その二面性を演じ分ける演技力に驚いた。でもこの『初恋』は、たぶん俳優としての彼の評価をさらに何倍にも引き上げる作品になると思う。痩せてリーチの長い鍛え上げられた体型はボクサーそのものに見える。孤独な青年の無表情な顔に、死の覚悟、新たな事実への動揺、怒り、繊細な感情が次々と現れては消える。それは東映映画を飾った昭和の名俳優たちにも引けを取らない、それでいて現代の青年としてアップデートと洗練を経た、この映画を象徴するような演技だった。『PICT-UP』という雑誌のインタビューで彼は「いつかは僕じゃない誰かが僕の椅子に座る、その時に内野聖陽さんや大森南朋さんのようになっていたい」と語っている。若くハンサムで、そして少し可愛さの漂うナイーブな青年俳優、というポジションは、確かに永遠に座っていられるものではないのかもしれない。でもこの映画を見た観客には、もっと複雑で奥深く、さまざまな人間を演じることができる俳優としての彼の将来が見えるのではないかと思う。硬く殺した表情の向こうに、いくつもの繊細で柔らかな感情が見える。そしてその演技的な成長の中に、窪田正孝の持ち味であるイノセンス、ある種の不器用さが残っている。PICT-UPで語ったようにもしも彼が今自分の座っている椅子から立ち上がる時期が近いと感じているのなら、それはたぶん次の場所に歩き始めるためなのだろう。そしてこの映画を見る限り、彼が向かう次の場所はもっとずっと高いところにあるように見えた。

 

ネットで『怪演』と話題になっているベッキーについては、振り切れた演技だけが目を引くのではなく、物語の伏線として普通にヒロインと会話したり、半グレの情夫である彼氏といちゃついたりする芝居のすべてが自然で上手く、飛び道具女優ではまったくない、名演と呼べる演技だと思う。バラエティ中心の活動に隠れてはいたが映画やドラマのキャリアはひそかに積んでいて、確かな実力がある。今作で完全に名を轟かせた感があるので今後が楽しみだ。

この映画が出世作となるであろう小西桜子のこと、染谷将太のこと、書きたいことはまだ山ほどあるのだが、書いている時間がない。内容に触れてしまうから、という面もあるし、何しろグダグダと文章を推敲しているよりも早くこの映画を宣伝したいのである。『パラサイト』がカンヌとオスカーを制した時、ツイッターには日本映画に対するシニカルな書き込みがあふれた。確かに「一丁上がり」で作られている日本映画だってたくさんある。こう言ってはなんだが、三池崇史監督の玉石混淆と言われる多作ぶりだってそれに一役買ってると言えば買っているだろう。でもこの『初恋』のような映画なら、中国や韓国、そしてハリウッドの映画にもまったく引けを取らずに渡り合えると思う。違いがあるとすれば、韓国の観客はこういう映画を見捨てずに必死に応援してちゃんとヒットさせるのである。そして日本でもそうすべきなのだ。各映画館の箱割り担当に置かれては、どうか公開延期になってしまったドラえもんとしまじろうの箱割りをこの『初恋』に割り当ててほしい。『初恋』が上映していない地域の映画館主のみなさんは、ドラえもんしまじろうが来るまで『初恋』を呼んで上映してほしい。それだけの価値がある映画だと思う。

海外で先行公開されたこの映画は、批評サイトのロッテントマトでも高く支持されていると言う。「またいつもの三池監督でしょ」という見方でスルーするのはあまりにも惜しい。マジで名作である。狼が来た。狼は本当に来たのである。