さんざんイケメンウォッシュだスイーツヤクザだとバカにされた『ザ・ファブル』がフタを開けたら傑作アクションだった件

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まあ正直言うと、僕もさすがに砂川に向井理はねえだろと思っていた。原作を読んでない人に説明すると、砂川というのは東国原やモト冬樹くらい禿げたゲスな中年ヤクザである。向井理が『ゲゲゲの女房』で水木しげる先生を演じた時はまだしも「あっそういえば水木しげる先生、向井理に似てるとこけっこうありますわ!同じ霊長目だし!」といった擁護もあったが、今回はキャスト発表の段階から叩かれまくっていたと思う。しかしこれがいいのである。向井理の「どことはなくヤバい感じ」、端正な顔の下に抑圧された暴力性みたいなものがにじみ出ている。もちろん実際には国仲涼子さんに手を上げたりすることは一切ない向井理さんなわけであるが、映画の中では女でも平気で殴りそうなヤバいヤクザの空気が漂っているのである。神奈川県出身なのに関西弁もなかなかのものである。もちろんネイティブの関西人からみれば「綺麗にイントネーションをコピーしてもやはりイケメンの関東人の話す関西弁には徳川幕府に抑圧された関西人のブルージーな味わいがないんだよね。ネイティブの関西人をキャスティングしないのは関東ウォッシュだよね」という意見もあるのかもしれないが、そういう政治的な意見はいったんおいてなかなかの砂川になっていたと思う。

岡田准一の素晴らしさについては言うまでもない。原作のファブル=佐藤は下がり眉毛の茫漠とした顔で、その下にすごい能力を隠しているというのがミソなわけだが、岡田准一というのはキリッとした眉のイケメンである。見るからに何でもできそうであるし、実際にできる。そうでなくても岡田准一という俳優は誰を演じても崇高で高潔な人格にみえてしまうわけで、これでは世を忍び敵の目をあざむくのが難しいのではないか?と思っていたが、この映画は、岡田准一の身長を映像的に上手く使っている。「岡田准一 身長」で検索すると169cm、まあ例によって霊長類ブサイク目非モテ科に属する我々の同胞生物が嫉妬深く「本当はもうちょっと低いだろう!サバ読みだ!」とブツブツ言ってたりするわけであるが、トムクルーズ170cmを見ればわかるとおり映画の中では身長なんていくらでも視覚的にフォローできるのである。アベンジャーズで言えばキャプテンアメリカのクリス・エヴァンスとアイアンマンのロバートダウニーJrの身長差は10cm近いが、映画を見てると全然そう感じない。レディ・ガガなんて実は155cmなのである。3メートルくらいあると思っていた人もいるだろう。いねえよ。そんな話はさておき、今回はあえてその身長差を撮影技術で埋めずむしろ強調して、180cm台の向井理福士蒼汰、174cmの柳楽優弥と比較して、映画の中で岡田准一をあえて一回り小さく見えるように撮っているわけである。なんだかんだ言って「背が低い」というのは世間ではナメられがちなわけだが、ファブルというのは世間にナメられて油断される必要があるわけで、この「まさかこの男があのファブル」という驚きは岡田准一が180cmあったら絶対に出なかった映像効果だと思う。また小柄である、ということが、ヒロインである山本美月(167cm)と並んだ時に「相手を男性的に圧倒しない」「どことなく優しそうに見える」というジェンダーフリー効果も生んでいる。ちょっとスタイルのいい女性と変わらない上背、そこからの岡田准一が最も得意とするスーパーアクションが飛び出す『雌伏からの本領』『能力のベールを脱ぐ』という爽快感が映画のキモになっていて、これは観客を見ている我々ブサイク男子も「そういえば俺も身長という基準で見れば岡田准一に似てるな!顔も別の銀河系から天体観測すれば似ていると言えなくもないしな!俺も本気を出せば壁くらい登れるかもしれないし!よし明日から本気出して団地の壁で練習しよ!」とド厚かましいことを考えながら岡田准一に自己投影して感情移入できるようになっている。そういう意味では、今やトップ俳優の一人である岡田准一のキャリアの中でも「ファブル」はそのニンジャ感、特殊部隊テイストを含めて大当たりのハマり役の1つだと思う。関西弁ネイティブだし。

 

柳楽優弥もすごく良かった。言うまでもなく14歳で史上最年少カンヌ男優賞を受賞した俳優なのだが、その後は本人も語るとおり周囲の評価とのギャップに苦しんだ。家族と口論して安定剤を大量に飲み緊急搬送されたり、演技から遠ざかり働いていたこともあったという。しかし「ディストラクションベイビーズ」で第90回キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞を受賞。個人的に印象が強いのは『響-HIBIKI-』で演じた小説家田中康平で、これは肥大した文学的プライドを欅坂46平手友梨奈演じる鮎喰響に打ち砕かれ、そのことによってかえって自由になるという役回りで、これ本人と重なってすごい良い役だったんですよね。やはり男子たるもの一度は平手ちゃんにパイプ椅子で乱打されてみるものである。ちなみに『響』では北村有起哉も嬉しそうに平手ちゃんの回し蹴りを顔面で受け止めている。嬉しいだろうなあ。ファブルの話でしたね。柳楽優弥が演じる小島も原作とはビジュアル的に全然ちがうのだが、危険なヤバさ、その中にある弱さや人恋しさが出ていてよかったのである。

福士蒼汰もキャスト発表で叩かれた中の一人だったと思うが、このキャスティングも結果的に大成功だったと思う。僕はわりと前から福士蒼汰という俳優が好きで、彼にはもちろんアクションという武器があるのだが、演技として器用になんでもこなす俳優なのかというと違うと思う。滑舌もそんなによくない、やや不器用な印象がある。しかし福士蒼汰の声というのはすごく情報量のある独特の声なのである。綿が水をふくむように、声の響きの中にナイーブさや弱さ、迷いのある複雑な声が出せる。映画の中で福士蒼汰が演じるのは冷酷非情、極悪といっていいような殺し屋なのだが、簡単に人を殺すくせにどこか自意識に弱さを抱えているというアマチュアリズムが、完成されたプロフェッショナルである岡田准一のファブルと見事な対比になっているわけだ。『無限の住人』でも福士蒼汰は悪役映えしていたのだが、プロデューサーも語る通り、岡田准一福士蒼汰という二人の対決的キャスティングは大正解だったわけである。

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原作にはほとんど描かれない佐藤浩市のボスと少年時代のファブルのシーンもよかったし、矢印や数字でファブルの能力を描写した殺陣の演出もよかったし、安田顕の演技も素晴らしかった。レディ・ガガの主題歌を使った意味は最後までよくわからなかったが、予算があるのだろう。漫画原作の映画化に関してはさんざんな失敗を繰り返して観客の信頼を失ってきたわけだが、3年くらい前から明らかに「当たり」の作品が増えてきている。日本映画は復調しつつあるのではないか。信じない人もいるかもしれないが、そんな風に思える一作でした。