実写版『ジョジョの奇妙な冒険』はそこまで叩くべき映画だったのか、あるいは荒木飛呂彦の育った街の話

制作発表の第一報から「やめてくれ」という声の嵐だったし、キャストが発表されたり映像が出たりするたびにそういう声は強まった。これは叩いていい、叩くのが正義だ、というある種のコンセンサスがネットに出来てしまって、そうなるともう止まらなくなる。いつものこと。叩くために見に行って突っ込みポイントをピックアップしてネタにされたり。まあわかんなくもない。とかく言われる漫画原作の中でも極めつきに難しい素材だしさ。実際完成した映画に突っ込み所があったのも認める。いくら伊勢谷友介でも空条承太郎は無理だよ、というか演技ができる195cmのイケメン俳優って誰だよ、という話もわかる。

でもそんなに悪い映画じゃなかったと思うんだ。

ツイッターでも書いたけど、あれは三池監督によるある種のヤンキー映画だと思う。

そして荒木飛呂彦という人がジョジョの第4部で描きたかったのもある種のヤンキー漫画で、彼があまりにも頭がいいので結果的にあまりヤンキーっぽくならなかったんだけど、彼が描きたかったものはあの実写映画とそんなに遠くないんじゃないか。

という話。

 

 

(第4部についてネタバレします。今さらジョジョのストーリーにそんな注釈が必要かはともかく)

第4部は『ジョジョの奇妙な冒険』の中でも異質なシークエンスだったと思う。とりわけ第1部・第2部・第3部はある意味ですごく連続性が高かった。ジョナサンとジョセフの顔はそっくりだったし、空条承太郎も明らかにそのキャラクターデザインの延長線上にあった。物語のスケールはどんどん大きく、敵は数多く巨大になっていったし、読者は第4部でジョセフや空条承太郎ポルナレフといったあのメンバーがどんな敵を相手に活躍するのか期待していたんじゃないかと思う。ジャンプが得意とするエスカレーション、戦闘のインフレの快楽を期待して。

でも、第4部で始まったのはすごく「奇妙な」物語だった。杜王町という架空の街を舞台に、快楽殺人を繰り返す一人の連続殺人鬼を不良少年たちが追い詰めるストーリー。「ジョジョ」という物語は第3部で世界を股にかけて移動し、最大の敵ディオを倒すところまで行っている。スケールダウンもいいところだと思う。しかも物語の最初にはここまで読者の感情移入を育ててきたジョセフもポルナレフも出て来ない。空条承太郎が登場はするんだけど、主役は彼ではない。東方仗助という読者にとって見慣れない、リーゼントの少年なんだ。でも荒木飛呂彦はたぶんどうしても、彼の生まれ故郷をモデルにしたと言われる杜王町を舞台にしたこの物語を描きたかったんだと思う。

端的に言ってしまえば第4部は実は『ジョジョ』として描かなくても、快楽殺人鬼とそれを追い詰める少年たちの物語として別個に描くことが可能な物語で、というか荒木飛呂彦は明らかにこの第4部をジョジョとは別の作品として暖めていたのではないかと思う。ただ、ジャンプのシステム上、そして少年漫画界のセオリーとして、ジョジョが大ヒットしている時にそれを放り出して何年もそれを描くことはありえない。そしてここが荒木飛呂彦の偉大な漫画的発明だと思うんだけど、『ジョジョ第4部』と銘打ってしまえば、本来は別の物語でも「ジョジョ・サーガ」の1つとして描き、読者に提供することができる。「描きたい作品があるんだけど大ヒット連載を抱えていて描けない」という人気作家のジレンマを彼は知性で解決したわけだ。のではないかと思う。ごめんソースはない。僕の勝手な当て推量だ。いつもこんな感じなんだ。

 

荒木飛呂彦はたぶん、自分の生まれた街について描きたいとずっと思っていたんじゃないかと思う。そこで彼が少年時代に出会った不良少年たちについて。父親に虐待されながら貧しい家庭で育ち、「こいつを殺した時にやっと俺の人生が始まるんだ」と吐き捨てながら今は肉塊のように変わり果てたかつて暴君だった父親を殺せずにいる兄弟について。地方都市に忍び寄る、街が生んだ知性的な快楽殺人鬼と、それを倒そうと死に物狂いで食い下がる、あまりインテリジェントではないヤンキー少年たちについて。

 

実写版の『ジョジョ』は、いわゆるジョジョ的な美的センスを問う審美眼の前には減点式に評価されてしまうのかもしれない。でも山崎賢人東方仗助が持つあの優しさ、新田真剣佑が演じた虹村億泰の「俺は馬鹿だからよ、心の中に思ったことだけをする」という絞り出すような台詞、國村隼が演じた祖父の巡査の分厚いヒューマニティ、そういうものは荒木飛呂彦が第4部で描きたかった核心を外していないんじゃないかと思う。

 

 

そして実写版の『ジョジョ』にはまだ描いていないものがある。それは吉良良影と、被害者の少女の対決だ。

 

どうして荒木飛呂彦がこんな凄惨な、そしてとてつもなく重要なことを少年漫画のクライマックスで描こうとしたのか、僕にはわからない。彼の天才的な想像力が無意識から掴みだしたのかもしれないし、荒木飛呂彦という作家にとって杜王町という故郷の街をモデルにして描かなくてはいられないような記憶があるのかもしれない。

でもいずれにせよ、この第4部のラスト、「決して振り返ってはいけない場所」で快楽殺人鬼を待ち続けた被害者が、スタンドの力も腕力も借りず、魂の一騎打ちで自分を殺した相手をついに振り返らせて裁く、というあの結末は映画でまだ描かれていない。それはやっぱり描かれるべきなんじゃないかと思うんだ。  

 

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