映画『さよならくちびる』感想。はぐれ少女二人組の『ボヘミアン・ラプソディ』。映画を企画した女性プロデューサーは『きのう何食べた?』の瀬戸麻理子氏

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まず最初に言っておくと、小松菜奈門脇麦の歌はめちゃくちゃ上手かった。ハルとレオで『ハルレオ』というのが劇中のデュオの名前なんだけど、このままデビューしても全然いけてしまうと思いました。『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』での吉岡里帆のロックボーカルもすごかったんだけど、小松菜奈門脇麦という2人からもこんなクオリティのボーカルが飛び出してくるとは思いもせず、正直この二人の歌を聴くだけで映画チケット分の料金はお釣りが来ると思う。小松菜奈の透き通った声は「いったい天は小松菜奈に何物を与えてるんだよ」という感じだし、門脇麦は本物のシンガーソングライターの女性ボーカルのように、海の底のような深い世界観をたたえた声で歌っている。

 パンフレットを読むとこの映画を主導したプロデューサーはエイベックス・ピクチャーの瀬戸麻理子氏で、門脇麦小松菜奈の二人と十代から仕事をしてきた女性。ある意味では念願の作品だったと思う。瀬戸麻理子氏は『溺れるナイフ』『きのう何食べた?』のPでもある敏腕女性プロデューサー。

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門脇麦小松菜奈成田凌に主題歌・挿入歌が秦基博あいみょんってすごい破格の布陣で、これは瀬戸麻理子氏の熱意なくしてはできなかったことだと思う。実際、音楽映画としてはかなり成功している。

音楽映画としてまずハルレオの歌の部分で圧勝しているので駄作にはなりようがないんだけど、音楽映画の宿命として「どうしても音楽に時間を取られてしまう」というのがあるんですよね。歌ってフルコーラスで3分、ワンコーラスでも1分半はかかるわけで、映画の中で1分ってすごい情報量を詰め込める時間なんだけど、そこを音楽に割かなくてはいけない。これは『ボヘミアン・ラプソディ』もそうだったけど、あの映画もクイーンのことについては相当に端折りまくってるんですよ。

たとえば10分のドラマを音楽に時間を割いて7分にする時、起承転結の結だけをはしょって起承転だけにするというわけにはいかなくて、7分での起承転結ができるよう、ドラマを薄めざるを得ない。基本的にハルレオのドラマ部分と言うのはよく言えばスピード感のある演出、悪く言えばダイジェスト再編集を見ているように駆け足になっている。ハルとレオの出会いからして、バイト先で社員に怒られてふてくされるレオを見た次のカットではもうハルが「あたしと音楽やらない?」と声をかけている。これはティーンネイジャームービーだからあえて速い展開にしているんだ、という面もあると思うけど、ある意味では携帯小説(って今でも言うのだろうか)のように早い。

 

ただ、小松菜奈門脇麦って圧倒的にリアリティの女優で、見る側としては彼女たちに本格的な映画、物語を期待してしまうんですよね。同性愛というモチーフもそうで、映画的に深く立ち入っている時間がない。ハルが同性愛者だということをセリフで説明するしかない。これがアイドル映画とか、駆け出しのシンガーソングライター女子を売り出すタイアップ映画だったら「そういうもんだよな、しょうがないよな」と思うし、むしろ高評価するんですけど、でも門脇麦ってめちゃくちゃ情報量のある女優で、本当にそういう深いテーマと真っ向勝負できる素材なんですよ。それだけにミュージックビデオのように「風景」としてハイスピードで物語が過ぎ去っていくのがああもったいないなあ…とも思いました。(これに関しては監督もパンフレットの中で、瀬戸麻理子氏プロデューサーからの提案でテーマに組み込むとき、中途半端に扱うことのできないテーマなので映画にどう描写するか悩んだと語っている。全体としては大きく外していないと思う)成田凌のマネージャー役にしても、「友達が死んだ」とか「死んだ友達の葬式に行って、こういうことがあってこう思った」というのをセリフで説明するんだけど、これ本来なら映画として映像で説明するところだと思う。監督が下手なわけじゃなくて、音楽をやらなくてはいけないのでそれをやる時間が映画の中にないんですね。

たぶんハルとレオの物語は、本来は連続ドラマ1クール、1時間x11話くらいの濃さがある物語なんだと思う。ただオリジナル脚本だし、小松菜奈のスケジュールとか色んなものとの兼ね合いで2時間の映画になったんだと思います。もっと見たかった、描き込みに堪える二人の女優なので描き込んでほしかったという思いはある。

小松菜奈門脇麦の存在感は本当にすごくて、これはあまりに良いカットなので予告編にも使われているんですけど、ガソリンスタンドで二人が歩く場面がある。これ見てほしい

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この公式動画の35秒くらいのところからなんだけど、もうこの歩き方だけで二人がどういう人物なのかというのがわかるくらい良いカットになっている。小松菜奈は長い手足を思うままに振って自由に闊歩する、小柄な門脇麦はポケットに手を突っ込んでうつむき加減に、でも明らかに世の中に負けたくないという矜持を持った歩き方で、これ、どっちが先にトイレに行くか無言で意地を張り合うみたいなすごいくだらない状況なんですけど、小松菜奈のレオの方がストライドが長いんで、同じリズムで歩いても門脇麦のハルが遅れていくんですよね。物語のテーマを象徴するような映像としてめちゃくちゃいいカット、二人の女優と映画のすべてが出たようなカットになってると思う。

 

小松菜奈門脇麦って顔立ちとしてはけっこう似ていて、二人とも栗山千明の姪みたいな顔立ちなんだけど、女優としてのたたずまい、在り方は対照的なまでに違っている。小松菜奈は『渇き。』で世に出た時からもうある種のミューズ的存在で、本当に立っているだけで映画に説得力を与えてしまうようなところがある。演技で別の人格を模写するというよりは、小松菜奈こそが本物の東京の女の子で、そのリアリティを映画という虚構に分け与えるみたいな存在なんですよね。門脇麦は対照的に完全にたたき上げ、下から演技力で這い上がってきた女優で、あれほどの演技力なのに昨年『止められるか、俺たちを』でブルーリボン主演賞を受賞するまでは新人賞以来賞から離れていた。お互いがお互いの欠けたものを持ち合っているみたいな二人だと思うんですよ。小松菜奈もインタビューで「『それは作品のクオリティーが高いからであって、わたしの実力ではないんだ』と複雑な気持ちもありました。現場で『わたし、本当は無理なんです』って言いたくても言えなくて……」と不安を吐露したことがあって、『もうミューズとして扱われるのはイヤだ、立っているだけで納得されるみたいなのはイヤなんだ』という思いがあったんじゃないかと思う。

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小松菜奈ってセリフ回しとかの演技面は意外と素朴で、「めざせグラミー賞」が「グルメショー」に聞こえるくらい活舌もそんな良くなかったりする。天性のオーラ、才能に内面や技術が追い付かないっていう所がすごくこの映画のレオに似てるところはあって、そういう二人の対照性みたいなものを音楽ユニットにした企画としてはすごい成功していると思います。ただ、あまりにも素材が良すぎるんで、2時間の映画ではもったいなかった、特に歌に押されたドラマ部分が惜しかったという思いはあるんですよね。これは脚本や演出がダメというより、二人の女優が良すぎて通常の脚本の出来を超えていて、その比較で脚本の台詞が見劣りしてしまったという面もあると思う。

ただ、2人の存在感だけで映画としては十分に成功していると思う。映画の中にもハルレオを偶像視するようなファンの描写が出てくるけど(本当のことを言うと、このファンたちの演出ももう少し繊細にできたと思う)小松菜奈門脇麦のハルレオがずっと心に残る観客がたくさんいるのではないかと思いました。続編と言うか、本当は連続ドラマとしてハルレオの物語をきっちり描いてほしい、それに値するポテンシャルを持った作品だと思います。