映画『ミッドナイトスワン』作品としての評価と、作品への倫理的な批判に対して思うこと

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[ネタバレあり]草彅剛主演『ミッドナイトスワン』見てきました。誰もが認めるであろうことを最初に言うと、俳優陣がまず圧倒的に素晴らしい。僕も過去に何度か書いてきた草彅剛のズバ抜けた演技力は今作でも発揮されているし、クラシックバレエで輝かしい成績を持つものの演技は未経験の14歳、服部樹咲を「ほとんど喋らせない」と言う演出で上手く使い、視線と表情の演技だけで宮崎あおいの再来のような存在感を出している(もともとクラシックバレエが世界レベルで上手い子を、逆回しのように「上達していく」ように見せる演出も素晴らしい)。水川あさみら他のキャストも全て目を見張るような演技を見せている。演出も前半は無駄がなくそれでいて繊細で、クラシックバレエとストリップショーを交差させた名作『フラッシュダンス』を彷彿とさせつつ、『万引き家族』のトランスジェンダー版ともいえる構造を描き、これは世界レベルでも勝負できる日本映画なのでは、と思った。前半は。

で、ここからが本題なのだが、この映画については以下のような倫理的な批判がある。代表的なものとして鈴木みのり氏、松岡宗嗣氏のリンクを貼ろう。

 

 

鈴木みのり氏のツイートは連続ツイートになっている。いくつかネタバレ指摘で削除されているが、クリックすると全体のニュアンスが読めると思う。

 

お二人が書かれている批判は、映画の描写に対する倫理的、あるいは社会的批判としてはほぼその通りだと思う。実際これはマジョリティのためのエンタテイメント作品として作られているし、マイノリティを題材にし、その存在を表現する功績の部分はありつつ、マイノリティのための作品になりきれていないのも確かだ。というかそもそも大衆向けエンタメ作品で完全にマイノリティの視点で書かれた作品がヒットすることなんてほとんどないわけである。映画『ワンダーウーマン』は本場のフェミニストからはボロクソにこき下ろされているし、『ゴールデンカムイ』がアイヌの描写に正確を期したからといって、アシリパさんという美少女キャラがマジョリティが消費するためのアイヌになっていないわけがない。ブームで山のように作られているBLドラマの中で「当事者の視点で作られたもの」なんて一体いくつあるだろうか。それらの作品がヒットして大衆に領土を広げつつ同時にまた専門家からのコアな批判を受けるべきであるように(というか上で挙げたような人気作品に対して愛想笑いを浮かべ、一方で「みんなで叩こう」となった作品に対してはここぞと糾弾するという人々が多すぎると思う)、ミッドナイトスワンもまた、大衆からの高い評価と少数からの鋭い批判を同時に受けるべき作品であると思う。

 

映画に対する倫理的批判に対しては以上の通りである。

で、だ。ここからが本題なのだが。

その倫理的な批判を浴びたのは主に後半なのだが、後半は映画的に面白かったか?

という話なのである。

後半が社会的、倫理的に批判を浴びるような内容であるからは、そういった批判をあびてまで描く以上は、その部分はその分面白かったり、大衆におもねった分、われわれ大衆を感動させてくれるのではないか?と思いがちだ。

 (ネタバレ)

でもしかし、なんていうんでしょうね。後半率直に言って「泣かせるためにムリヤリ人を殺しすぎ」で映画的にあんまよくなかったと思う。上野鈴華が演じたあの同級生の女の子の自殺とかさ、いくらなんでもやりすぎでしょ。監督がツイッターで「これは娯楽、大衆映画だから。社会問題は誰も見ない」みたいな余計なことを言ってよせばいいのに炎上しているわけであるが(これはポン・ジュノの『自分は社会派ではなく映画派である』というような発言と同じようなことが言いたいのだと思うのであまり責めないが、ポン・ジュノよりはるかに言い方がヘタクソなのは事実だ)、僕が問題にしたいのは「社会か娯楽か、インテリか大衆か」というよりは、グラップラー刃牙には「上等な料理にハチミツをぶちまけるような行為」という範馬勇次郎の名台詞があるわけだが、「大衆向けっても色々あるわけで、最高に美味いカレーライスを食ってる途中にタピオカを放り込んでくるのをやめろ」という話なのである。

(ネタバレ)

あの同級生の女の子の自殺、主人公のコンクールに合わせながら屋上でバレエを踊りクライマックスで飛び降りるという、いかにも耽美的でかつショッキングな演出は、まるで往年の野島伸司ドラマのそれである。要するに前半は淡くリアルな描写の中で是枝裕和レベルの映画が撮れていて、海外でも十分に勝負できる名作になりかけているのに、後半がテレビドラマ的な分かりやすさに流れてしまっていると言うか、後半クライマックスの凪沙のシーンにしても「とにかくスローモーションやカットバックの中で人が死なないと大衆は感動しないから」みたいな日本ローカル向けの狙った演出をしたせいで倫理の問題とは別に映画的完成度がむしろ損なわれているわけである。

もったいない、と思う。この映画の監督、内田英治監督がダメだとは思わない。むしろ逆である。才能のない監督にあんな見事な前半は撮れない。後半にしても、凪沙を演じる草彅剛がトレンチコートで歩く姿を前半で見せておいて、それを桜田一果を演じる服部樹咲の後ろ姿に重ね、凪沙は生きているのか?いやちがう、だが凪沙の残したものはここにある、というあのカットなんていうのはもう「あっ」と声が出るほど見事なものだった。ネトフリの『全裸監督』からの連続性でこの監督に反感を持っている人も少なくないのかもしれないが、これほどのレベルの才能が批判で潰れることはないだろうし、潰すべきでもない。問題は、あのトレンチコートのように映像的メタファーとして見事なシーンを撮れる監督が、後半の「いかにも日本映画の泣かせ」みたいなシーンを自分のセンスで心から「いい」と思ってるわけがないのであって、ポリコレかどうかという問題とは別に、大衆に横目を使わずもっと自分を信じた方がいいのではないかと思ってしまったわけである。才能のある監督である。あの屋上のシーンなどが典型だが、映像の才能に酔いすぎて映画のテーマを見失うほど才能がある。凪沙にしても性転換手術をして目が見えなくなる理由は全然ないわけだが、なぜ見えなくなるのかというと多分「魚のいない水槽に気が付かずにエサをやる」というあのシーンを撮りたいためだと思う。確かに鮮烈なシーンだったし、草彅剛の演技も素晴らしかった。でも映画のテーマからは浮いてしまっていると思う。母親がコンテスト会場に突然迎えに来るシーンのあたりから突然強引で、まるでマーケティング戦略で親子の愛を盛り込んだり涙の死を描くために人工的に作ったような展開が続出する。それができるというのはテクニックであり一つの才能だと思うが、前半のあの流れるように自然で見事な構成とのギャップは強い。才気が余りすぎて撮りたいシーンと撮るべきテーマの力関係が逆転してしまっているのだ。

 

上野鈴華が演じたあの同級生の女の子に戻るが、この女の子の自殺の扱いはともかく、まったく経済階級がちがう一果を助けて自分のライバルを作ってしまう理由が「好きだから」という脚本はよかったと思うし、その友情と恋愛の繊細な混沌を演じる上野鈴華と服部樹咲の二人は素晴らしかったと思う。ああいうシーンが撮れる監督なんだから本当はやれば出来る子のはずである。あの二人はあのままでいいんだって。殺す必要ないでしょうが。我々はミカンや機械を作っているんじゃないんです。毎日人間を作っているんです。失礼しました。勢い余って『3年B組金八先生』セカンドシーズンの名台詞を丸パクリしてしまいました。しかしそういうことなのである。草彅剛演じる凪沙にしてもそうで、「死んだから感動する」なんてのは三流の役者でどうにか映画の体裁を取らせる時に使う最後の手段なのであって、草彅剛のような今日本でも指折りの名優をもってすれば「生きて感動するトランスジェンダー映画」が十分に作れたはずだと思う。せっかく良い映画なのに野島伸司的に盛り上げるために簡単に命が捨てられていく、ちがう僕らが見ていたいのは希望に満ちた光だ。すみません今度はミスチルのHEROを盗作してしまいました。最近はてなブログに歌詞を載せてもJASRACのクソどもが自動小銃を構えてドアを蹴破らない協定ができたと聞いたものですから。

 

そんなわけで、後半の演出がちょっと完成度を損ねた感はあるものの、120点が90点になってしまったくらいであって、全体としてはやはり良い映画であったと思うし、何度も書いている俳優陣の素晴らしさはもちろん、この監督の力量というのは否定しえないと思う。前半のペースで押し切っていたらカンヌやベネチアで賞を取ってもおかしくない出来だと思うし、今だってポン・ジュノら韓国の名監督たちと並んでも遜色ない出来だ。今後は「大衆向けにアレ入れるか」みたいな余計なことは考えずにまっすぐ自分の映画を撮ってほしいと思う。タピオカに誇りをもってどうしてもタピオカで勝負するならそれはそれでいいと思うが、誰が見たってカレーを作りたがってるカレー屋なんだからさ。

 

 それから最後に、凪沙が勤務するバーのトランスジェンダーでズバ抜けて声も顔も美しい踊り子がいて、公式HPでアキナ役を調べてみると

 

真田怜臣
1989年生まれ、奈良県出身。トランスジェンダーであることをカミングアウトし、性別の垣根を超えて、自分らしさを表現することを目標とし幅広く活躍中。主な出演作は、2016年舞台「GOKU」、2017年舞台「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」、2018年舞台「美少女戦士セーラームーン」(東京・パリ・ワシントン・ニューヨーク公演)、2019年東海テレビ「さくらの親子丼2」、2019年舞台「Get Back!!」などがある。

 

すでに多方面で活躍しているトランスジェンダー俳優なのである。この 「アキナ」のシーンがもっと多くても良かったと思うのだが、悲劇性を強調する演出で減ってしまったのが残念だ。ここもこの映画の惜しい点ではあるが、同時に草彅剛主演というスターの力でこうしたトランスジェンダー俳優の才能が多くの人に知られ、多くの出演やまた主演作が作られるきっかけになればいいなとも思う。