映画『チア☆ダン』 TBSの安直な企画を広瀬すずが熱血映画にしちゃったホントの話

 

f:id:Cinema2D:20190224032143j:plain




(ネタバレを含みます)

映画『チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話〜』の興行収入は最終的に13億円に達し、翌年、制作のTBSはこれに手応えを得て地上波ドラマ版の制作にも乗り出すことになった。成功と呼ばない人はいないと思う。

でも僕はこの『チアダン』が成功を約束されていたとは思わない。むしろ完全に破綻する企画の映画化だったと思う。  

タイトルからモロに分かるとおり、これは『ビリギャル』のヒットに気をよくしたTBSが「実話を元にして旬のアイドル女優が演じればイケる」という的外れなマーケティングの元に走り出した典型的な邦画の負けパターンだったと思う。だいたい『ビリギャル』は『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて 慶応大学に現役合格した話』という100万部クラスのベストセラー原作ありきの映画化だったのだが、『チアダン』は福井県福井商業高校チアリーダー部の実話が元と言ってもそれはベストセラーどころか書籍にも特になっておらず(映画公開直前に刊行されたのはタイアップの企画本にすぎない)おまけに「受験」という日本のほぼ全ての十代に切実なインパクトのある題材に対して、チアダンスの経験者は少ない。そもそもが企画として無謀なわけである。

 

無謀なのは企画だけではなく、そもそもチアダンスというのは映画として非常に難しい題材だ。というのも、チアダンスは完全に決められたダンスを踊って審査を受けるというスポーツで、『創意工夫』とか『どんでん返し』とか『観客の意表をつく展開』というドラマツルギーに欠かせない仕掛けがスポーツとしてほぼ出来ないのである。「イチかバチかの大技が決まった」というチアリーディングのような飛び道具もない。本当に一生懸命ダンスして審査されるだけのルールで、小細工が一切きかないのだ。

さらに映画としてムチャクチャな点はタイトルで、『チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話〜』というタイトルを見て誰もが判るとおり、ストーリーに一番大事な結末をタイトルでバラしてしまっている。『ビリギャル』だって『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて 慶応大学に現役合格した話』じゃ結末がバレバレでまずいから映画版では『ビリギャル』にしたというのに、チアダンは何も考えずにタイトルの時点でノーカットフルサイズでネタバレしている。『ロッキー☆~落ちこぼれの白人ボクサーが黒人チャンピオンに挑戦してあと一歩の所で判定負けだったけどエイドリアンは手に入れた話~』とか『猿の☆惑星~猿の世界に来たと思ったら自由の女神があって本当は地球だった話~』みたいなものである。

脚本や演出もお世辞にもスマートとは言えない。ライムスター宇多丸氏がラジオの批評で「『チアダン』と比較すると『ちはやふる』の演出がいかに優れているか分かる」と身もフタもないことを言って「他の作品を引き合いにけなすな」とネットで叩かれたりしていたが、でもぶっちゃけその通りだと思う。何しろ劇中で中盤の山場である、主人公が全治二ヶ月のケガをする場面が「桜散る校舎を背景に広瀬すずの『ギャッ』という声が入ると次のシーンで松葉杖をついている」という謎の演出であり、結局なぜ膝を全治二ヶ月などという交通事故レベルの、スポーツ経験のある人間が聞いたらほとんど再起不能と解釈するケガをしたのかは明らかにされない。しかもそのケガは物語として大きな山を作るわけでもなくあっさりと後遺症もなく治る。天海祐希ほどの女優をコーチ役に起用しながら、物語として非常に重要なはずの彼女の内面や過去はほとんど描かれない。河合勇人監督は後の『ニセコイ』では素晴らしい演出を見せていたので、いったいなぜこんな演出になったのか理解できない。色々な事情があったのだろう。

題材としてマイナー、設定として盛り上げが困難で、結末はタイトルでバラされている上に、演出も粗い。こんなものいくら広瀬すずでもどうにもならないだろうと思いながら映画館で見ていたのだが、びっくりすることに広瀬すずはこの映画をなんとかしてしまうのである。

中盤からクライマックスにかけて、広瀬すず演じる主人公友永ひかりの表情はみるみる精悍に引き締まっていく。序盤でルーズな日々を送る平凡な女子高生だったひかりとは別人のように目が爛々と輝き、コーチに意見を叩きつけるアメリカ大会前夜の場面では天海祐希に一歩も引かない凄みさえ見せる。それは脚本や演出というよりほとんど広瀬すずという女優のフィジカルな個人技だと思う。団体戦術が機能していないと見るや、単独ドリブルで猛烈に切り込んでいるわけだ。

中条あやみはこの映画で広瀬すずと共演し『主演ってこういうことなのか』と衝撃を受けた経験を後にいくつもの媒体で語っている。

mdpr.jp

 

(以後はクライマックスからラストシーンにかけてのネタバレになります)

タイトルの通りに全米大会で優勝したあと、広瀬すず演じる友永ひかりは天海祐希演じるコーチのもとに駆け寄り「風景が見えた」と語る。それ全米大会の前夜にコーチと激しく対立し「すべてを賭けたものにしか見えない風景がある」と告げたコーチへの答えなのだが、脚本としては風景の説明を放棄しているというか、説得力を広瀬すずの演技に丸投げしているようなものだと思う。でもこの場面で、広瀬すずは本当に何かが見えているとしか思えない演技を見せる。瞳孔が開き、目の焦点が遠くを見ている。『ちはやふる』はじめいくつかの映画でも見たのだけど、広瀬すずはたぶん「ここ一番」という場面でスポーツ選手のようにアドレナリンを出すことが出来るのだと思う。それはテクニカルな演技と言うよりはフィジカルな表現だ。広瀬すずにとって、たぶん演技は芸術であるよりもスポーツであり格闘技なのだと思う。

 

多くの監督はたぶん、『海街diary』や『怒り』のような有名監督による名高い作品より、この『チアダン』を見た時に広瀬すずを使いたい、こいつを獲ってしまえば俺の映画は勝ったも同然だと思うのではないかと思う。広瀬すずは一人のアクターにすぎないので、駄作を名作にすることはできないし、まずい料理をおいしく変えることもできない。でもたぶん、まずい料理を味がわからないほど熱く沸騰させることはできる。うすら寒い駄作を熱い血がたぎるB級青春映画に変えることはできる。『チアダン』を映画館で見た時、驚くほど周囲の中高生グループがこの映画に笑い泣くのを見たのだけど、『チアダン』をそういう映画にしたのはたぶん広瀬すずの力が大きいと思う。

 

(ちなみに河合勇人監督は後に中条あやみと再び組み、中島健人を主演に『ニセコイ』を撮っているのだが、こちらの演出は『チアダン』より数段素晴らしいので必見である)