映画『午前0時、キスしに来てよ』アニキャラ実写無双の橋本環奈ちゃんに「何の取り柄もない平凡なJK」の役

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僕の映画感想は橋本環奈ちゃんの『セーラー服と機関銃』をツイッターで絶賛したところから始まっている。これである↓

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セーラー服と機関銃』は興行的にはあまりヒットせずいろいろ言われたりしたものの、その後の橋本環奈ちゃんの女優業は高確率で当たり続きだと思う。最近では『キングダム』もよかったし、『銀魂』も大好評だ。とりわけ『かぐや様は告らせたい-天才たちの恋愛頭脳戦-』は監督の演出のリズムもふくめて素晴らしかった。

 成功した橋本環奈ちゃんムービーにはある法則がある。アンリアル、非現実的な映画になればなるほど橋本環奈ちゃんは強いのである。とりわけアニメの美少女キャラを実写で演じるということにかけてはもはや日本の映画界で「橋本環奈ちゃん無双」の状態であると言っても過言ではない。理由は言うまでもなく、橋本環奈ちゃんが現実離れして可愛いからである。そして小さい。152cmという身長はほぼ小学六年生から中1の平均身長なのだが、橋本環奈ちゃんはこのサイズのまま、ちょっとハスキーなあの独特の声でバシバシ台詞が言える。まさに2.5次元女優、アニメキャラを演じたら右に出るものはいないのである。

 

しかしそれは反面、「リアルな日常劇から浮き上がってしまう」ということも意味する。別に橋本環奈ちゃんの演技が下手だからアンリアルなのではなく(演劇教育受けたわけでもないのにすごく手慣れてて上手いと思う)、可愛すぎて現実離れしているから平凡な日常になじまないのである。映画『午前0時、キスしに来てよ』はまさにそれであった。冒頭から橋本環奈ちゃんが登場して「何のとりえもない平凡な私、そこにテレビで見たあの憧れの王子様俳優がロケに」的な設定のもとに物語が進む。少女漫画の王道と行ってもいい。しかし平凡もへったくれも橋本環奈ちゃんなのである。スクリーンに映る他の女子生徒役から完璧に浮き上がっている。おまけに原作にキャラデザを寄せて髪にウェーブをかけたせいでますますスペシャルガール感が増している。どう値切っても「学校1の美人、全員のマドンナ」くらいの設定にしないと収拾がつかないのだが、映画はこれを力尽くで「いえいえお客様、この映画で橋本環奈ちゃんが演じるのはなんのとりえもない平凡な少女であり、顔もたいして可愛くないものとしてご納得下さい」という設定でムリヤリ話を進める。客が納得できるわけねーだろ。支配人を呼べ支配人を。とにかく映画『午前0時、キスしに来てよ』を見た人はわかると思うが凄まじい可愛さである。神様が僕の顔のペン入れを上京したばかりのアシスタントに丸投げして橋本環奈ちゃんの顔のデザインにだけ三ヶ月かけたとしか思えない芸術的に繊細な顔である。これを「吉沢亮が演じてるけどクラスの女子にキモがられてるブサイクだと思って見て下さい」くらいの強引さで「平凡な私」としてゴリ押していくのだが、設定上押し通すだけならともかくくどいくらい「なぜ平凡な私が」「どうしてこんな何の取り柄もない私に」みたいな台詞を繰り返すのである。

橋本環奈ちゃんはとても頭のいい女優さんなので、彼女なりにこの映画の根本的な設計ミスをどうにかしようとした形跡はある。一時期太った太ったみたいなことを言われていたが、あれはこの映画のためにちょっと体重を増やして、「太ればちょっとは平凡になるんじゃねーか」という役作りだったのではないかと思う。確かに『かぐや様は告らせたい』に比べればこころなしか輪郭がふっくらしてはいる。しかし残念ながら、5kgか10kg太ったくらいで橋本環奈ちゃんが平凡に見えるのかというと、天使がふっくらした天使になるだけの話でその美貌というのは小揺るぎもしないのである。岡田斗司夫がダイエットに成功したからと行って別にイケメンにはならなかったことの逆バージョンみたいなもので、橋本環奈ちゃんは太っても橋本環奈ちゃんなのである。

 

そして映画はクライマックスを迎える。恋のライバルである芸能界の女優、八木アリサさん演じる内田柊に対して、橋本環奈ちゃんはある台詞をつぶやく。

 

「あなたはお顔も小さくて、目も大きくてまるでお人形さんみたい…それにくらべたら私は何のとりえもない平凡な…」(記憶頼みだがだいたいこうだと思う)

 

うむ。まあ、原作は読んでいないのだが、もしかしたら原作通りの台詞なのかもしれない。しかしこの台詞だけは実写映画化に際して何か他の台詞に代えるべきだったと思う。それがプロの演出というものである。もちろん八木アリサさんだってとても美人だ。橋本環奈ちゃんが持っていないスラリとした背の高さ、大人の女性の美しさがある。だったらそこを台詞で強調して「私なんか子供…」という方向に持っていけばよかったのであって(いちおう映画でもスタイルの違いについて言及する台詞はあったと思う)、いくらなんでも橋本環奈ちゃんに「あなたは目が大きくてお人形さんみたいね」と言わせるのは完全な映像的設定破綻である。小沢健二に肩を叩かれて「すごいねキミ高卒なんだって?学歴ではかなわないなー」と言われてるようなものである。ムキーなんですっってええええ。失礼しました。自分が考えた仮定に逆上してしまいました。しかしそれくらい無理のある台詞になってしまっていたと思う。

この「橋本環奈ちゃん可愛すぎ問題」というのは、たぶん女優として橋本環奈ちゃんに今後もつきまとってしまう問題なのだと思う。『かぐや様は告らせたい』のようにそもそもが絶世の美少女であるという設定だったり、あるいは『十二人の死にたい子供たち』のように芸能人やアイドルの役ならまったく問題はない、というか彼女以上の女優はまずいない。まさに千年に1人である。しかし今作のように「平凡な私が…」という主人公を演じる時にはそれがネックになってしまうと思う。それくらい彼女の顔というのは特別な顔である。

あ、あと一点、大事なことを書き忘れたので追記する。橋本環奈ちゃん、あまりにも酷使されすぎて映画の前半で目の下にクマが出てるシーンがある。20歳そこそこの女優に恋愛映画でメイクで隠せないほどのクマが出るのは普通ではない。クマが出たって可愛いわけだが、こればかりは可愛いは正義ですむ問題ではない。ちょっと休ませてあげてほしい。

 

映画としては主演の片寄涼太くん(GENERATIONS from EXILE TRIBE)もかっこよかったし、少女漫画の王道である幼なじみの優しい友達を演じた眞栄田郷敦くん(真剣佑くんの弟である)の演技もすげー上手かった。もともとそっち目当ての観客は橋本環奈ちゃんかわいすぎ問題など大して気にならないのかもしれない。というわけで僕は今後も橋本環奈ちゃんに注目していきたいと思う。