映画『IT THE END それが見えたら終わり』感想。ジョーカーが多数派になってしまう社会の中で自分の心の闇と戦うかつての子供たち

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今年のハロウィンのコスプレではジョーカーが大人気だった。まるでもうジョーカーの方がスーパーヒーローで、バットマンヴィラン(悪役)みたいな雰囲気だ。どう見てもアーサーとはかけ離れた社会的に強い立場の人たちを含め、誰もかれもがジョーカーに自分を重ねる。

よくネットでキャラかぶりがネタにされているけど、スティーブン・キングの作り出したペニーワイズというキャラクターはいくつかの面でジョーカーと重なっている。どちらもピエロ(クラウン)だ。映画『IT THE END それが見えたら終わり』は映画『ジョーカー』と同時期に撮影されていて、お互いのスタッフはお互いの作品をまったく見ていないはずなのだが、二つの作品はまるで表と裏のように背中合わせに対応している。まるでお互いがお互いのスピンオフ作品のようだ。不思議な偶然だが、優れたスタッフたちが時代と向き合うとこういうことが起きるのだろう。今作ではペニーワイズの過去がある程度明かされるのだが、「あっ、これはまるでアーサーじゃないか」と息をのむようなシーンもある。

でもこの映画はある面では『ジョーカー』と正反対の映画だ。誰もがジョーカーになりたがる社会の中で、ジョーカーやペニーワイズに表象される心の暗闇と戦う子供たち、正確に言えば今作ではかつて子供だった大人たちの物語だ。

 

前作『IT』からそうなのだが、ペニーワイズは子供だけを狙う、子供にしか見えないピエロだ。子供たちが次々と行方不明になるが大人たちは何もしないというキングが書いたこのホラーの中心には、幼児虐待のメタファーがあるのだと思う。ベバリーが父親に性的虐待を受けているのは象徴的だが、それ以外の「ルーザーズクラブ(負け犬会)」の子供たちも、親への依存だったり、いじめを受けていたり、トラウマを抱えていたりする。ペニーワイズはそのトラウマやコンプレックスを象徴するかのように彼らの前に現れる。

前作ではそのトラウマと戦い乗り越えていこうとする少年少女たちの姿が描かれ、美しい青春映画にもなっていたのだが、完結編の今作ではより苦い、「虐待された子供たちが大人になって直面する問題」が描かれる。ビルはハリウッドで脚本家として成功したのに、ハッピーエンドを書くことができない。ベバリーは自分の才能でデザイナーになったのに、父親のように暴力的な男性と結婚してしまう。ハンサムな実業家になったベンは太っていた少年時代のトラウマを引きずっているし、マイクは今も生まれた街を出ることができない。エディは過保護だった母親の死に罪悪感を抱えている。そしてリッチーには、ルーザーズクラブの仲間にも話さない秘密がある。大人になった彼らは、結婚しているものもしていないものも、子供を作っていない。まるで何かを恐れるように。

大人になった「ルーザーズクラブ」は、社会的に成功していようといまいと今も負け犬のままなのだ。彼らは「やつがまた現れた」というマイクの連絡とともに、生まれた街にもどってくる。前作で子供だけを狙うピエロだったペニーワイズが、今度は社会的弱者を最初の標的にするのは象徴的だ。監督が日本の舞台挨拶で語ったように、それはこの社会の隠喩なのだと思う。負け犬たちはペニーワイズと戦い、倒さなくてはならないのだ。自分自身がペニーワイズとなって、次の世代の子供たちの心臓を食べる虐待者となってしまわないために。

 

表裏一体のように作られた『ジョーカー』と『IT THE END』だが、もしかすると今の社会でウケるのは『ジョーカー』の方なのかもしれない。自分のトラウマに向き合い、大人として成長しようとするルーザーズクラブの戦いは、お高くとまったテレビの芸能人を撃ち殺し、炎上する街で大衆から新たなヒーローとして称賛されるジョーカーが与える自己肯定感に比べて、自分の体の一部を切り落とすように苦く厳しい戦いだ。でもあなたが自分をアーサーに似ていると感じるなら、バットマンではなくジョーカー側の人間だと感じるなら、『IT THE END』はどうしても見ておくべきだと思う。この2作はまるでお互いの免疫ワクチンのように対応している。『ジョーカー』にないものが『IT THE END』にあり、『IT THE END』に欠けているものが『ジョーカー』にはある。心の暗闇は、完全に否定して葬り去ることも、もろ手をあげて肯定することもできないものだから。公開初週なんでこれ以上は書かないけど、おすすめです。