映画『君は月夜に光り輝く』単に『泣ける映画』の再生産ではなく、月川翔監督の原作アレンジで深く静かな映画になっていると思う

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キミスイ』と比べられるが、映画としては今作の方が良いと個人的に思う



月川翔監督と北村匠海と言えば浜辺美波をヒロインにすえた『君の膵臓を食べたい』の大ヒットが記憶に新しく、今作も公開前から「キミスイの二番煎じ」という声は多かった。というか映画会社側としては当然そういうマーケティングはあると思う。でも僕は『キミスイ』と今回の『君は月夜に光り輝く』だったら映画としては今作の方が遥かに良いと思いました。

(ここからネタバレを含みます)

 

『難病もの』の構成ってかなり共通していて、たいてい薄命のヒロインが思い出づくりに主人公に恋人のように振る舞うことを求めてデートしたりするんですけど、『君は月夜に光り輝く』原作の特徴は、ヒロインと主人公がカップルになることではないんですよね。ヒロインは病院から一歩も出られないので、『ヒロインがやりたかったことを外の世界で主人公がやる』つまり女の子の自己実現を男の子が現実の世界で代行する。そこが原作の面白いところで、月川翔監督というのは以前からずっと言ってるんですけど、こういう若者向けの原作を普遍的な実写映画にアレンジする手腕が抜群で、今回も光っていました。

 例えばヒロインが「遊園地に行きたかった」と言い、主人公が代行して遊園地に行く場面があり、原作では男が一人で遊園地にいるから笑われるという設定なんだけど、映画版では係員に猫耳をつけさせられるという演出がある。パフェを食べたりメイド喫茶でバイトしたり、果ては文化祭でロミオとジュリエットのジュリエットに主人公が立候補して、級友の男子とカップルを演じる。

 いったいこれは何をやってるのかというと、自分の殻に閉じこもった男の子に対して「ガーリッシュに生きてみろ」と言ってるんですよね。ガーリッシュに生きたかったけど生きられなかった女の子が「私のジェンダーもあなたが生きて」と代行させる。もちろん男子としてカッコ悪いと言えばカッコ悪いんだけど、「カッコ悪くてもいいんだ、男子の枠から落ちこぼれても生きていくんだよ」という物語になっている。

 これを演じる北村匠海がとてもよかった。ポーカーフェイスで、感情を派手に出して演じる俳優ではないんだけど、ものすごく繊細な演技ができる。「理由があって感情を押し殺して表に出さないけど、ふとした時に声におさえていた感情が混じってしまう」という演技がすごく上手い。その「漏れた感情の声色」がすごくシーンの解釈を深く捉えていて、これは月川翔監督の演技指導もあるんだろうけど、やっぱり北村匠海という人の才能だと思うんですよね。ハードボイルドというのは「恋人が死んで悲しい」ということを表現するのに泣き叫ぶのではなく無言で煙草を吸う、その微かな震えで哀しみを表現するようなジャンルなんだけど、北村匠海の演技ってあの若さにしてある意味ではハードボイルドの演技になっている。予告編でも使われているけど、夢の中でヒロインの病気が治って学校に登校してくる、その幸福な夢の中で「これは現実じゃない、目の前にいる女の子は自分の都合のいい妄想なんだ」と気がついて涙を流す、その演技が素晴らしかった。『なんで泣いてるの』というヒロインの問いかけはすごくリアルに問うんだけど、それには答えずにその向こうの事実を見通すように涙を流すというのが、「心を断ち切られる」という現実の残酷さを表現した映画的にもすごく良いシークエンスになっていたと思います。

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 永野芽郁はいかにも病弱そうな子ではなく、ちょっとやんちゃなタイプの元気そうな女の子として役を設定していて、だからこそ病が進んで月が欠けるように体力が落ちていく、その身を切るようなギャップの痛みを表現できていたと思う。

 

(ここから大きくネタバレします)

 月川翔監督が今回大胆に手を入れたのはクライマックスで、原作だと主人公が「君は死ぬのが怖いかもしれないけど、僕は生きるのが怖い、だから今ここで死んで君に死は怖くないことを見せる」というシーンがある。これは原作の核と言えば核のシーンなんだけど、月川翔監督はここをまるごとカットしてるんですね。「小説的なテーマとしてはわかるけど、心ならずも病気で死んでいく女の子の目の前でやる議論じゃない」ということなんだろうと思うけど、僕もその判断は正解だったと思います。小説なら許せても、実写で生身の俳優が演じたら健康な人間のエゴみたいなものが全面に出てしまうと思うんですよね。

 ここをカットする代わりに、「それから渡良瀬まみずは、十四日間輝き続けて、そして消えた」という主人公のモノローグでシークエンスを閉じている。原作では「それから渡良瀬まみずは、十四日間生きた。」という文章で、原作も「十四日後に死んだ」という事実を彎曲的に表現したパセティックな文章なんだけど、映画版の台詞は「発光病」という現実離れした設定ついてすごく重要な解釈をしている。

 発光病というのは物語中の設定では「バイオフォトン」という生物がみんな微かに放っている光が強くなりすぎて、その反動で寿命が縮んでしまう病気なんだけど、病気がすすむほど光が強くなる。「それから十四日間輝き続けた」というのは美しい言葉だけど、現実には「十四日間苦しみ抜いて死んだ」という壮絶な現実がモノローグの裏にある。あまりにも凄惨で残酷な現実を見てしまったからそう表現するしかない、という主人公の思いと、生命は燃焼するから燃え尽きる、発光という病気の苦しみは生きた輝きの証でもあるという逆説が表裏になっている。

 月川翔監督は脚本も兼ねているので、この台詞のアレンジというのは月川監督の筆によるものだと思うんですけど、やっぱり原作アレンジ能力というのはすごいものがあると思うんですよね。なんで発光病なのか、膵臓とか白血病とか現実の病気を患っている人を傷つけないように架空の病気を考えたという面もあると思うけど、ひとつの隠喩、メタファーとして作られた設定だと思うんですよ。その隠喩が意味しているのはつまりこういうことでしょ?という、原作を変えながら原作の本質を射貫くという、『黒崎君の言いなりになんてならない』『センセイ君主』『響』で月川監督がずっとやってきた演出法の中でも水際だったワンフレーズになっていると思う。

 演出方法としても、北村匠海の繊細な台詞を観客に届けるために、あえて音楽をつけない、無音のシーンが駆使されている。こういうテーマだと音楽で押して感情的に流してしまえば「泣ける映画」として手堅いんだけど、そうではない、無音にすることで死の残酷な気配みたいなものが画面に漂うんですよね。ある種のドキュメンタリー性、現実の硬い感触を映画にもちこむことに成功している。音楽がないと俳優の演技力にごまかしがきかなくなるんだけど、北村匠海永野芽郁も確かな演技力で監督の挑戦に応えている。

 結果として感情的にワンワン涙で押し流す映画じゃなくて、すごく静かに深く考える映画になってると思うんですよ。『キミスイ』にも小栗旬が結婚式を挙げる北川景子に「友達になってくれ」と伝えに走るという月川演出が光っていたんだけど、映画としては『君は月夜に光り輝く』の方が澄んだ湖水のように深みを見通せる映画になっていると思う。単に泣ける消費財ではなく、ヒューマンな映画に半分手をかけていると思うんですよね。

 元々月川翔監督はジャンルムービーに収まらない監督だと思っていたけど、次回はいよいよ岡田恵和脚本・有村架純と坂口健太郎主演のWOWOW作品「そして、生きる」に挑戦する。プロフェッショナルな商業監督としてヒット作を手がけてきたのだけど、たぶん本質的には強い作家性を持った映像作家だと思うので、今後も期待して行きたいです。

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