映画『マスカレード・ホテル』感想 木村拓哉と喧嘩する女優はなぜ輝くのか

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長澤まさみという、今や邦画を支える名女優にとっても近年のベストだと思う

(ある程度のネタバレを含みます)

『マスカレード・ホテル』の興行収入は2月末の時点ですでに40億円を突破したそうだ。もちろん東野圭吾というベストセラー作家の人気小説の映画化ではある。そして明石家さんま始め、多くのスターがゲスト出演!とフジテレビが宣伝してもいる。そういう要因がまったくヒットに関係ないとは言わないけど、でも映画を見た人ならたぶん、この映画が結局のところ木村拓哉長澤まさみのツーマンショー、二人の映画だったというのは感じるんじゃないだろうか。

『マスカレード・ホテル』には銃撃戦もカーチェイスもない。時空を行き交うスペクタクルもないし、衝撃のラストもない。トリックだって東野圭吾には悪いけどあっと驚くほどの仕掛けではない。豪華ゲストの芸能人たちだってせいぜい顔見せ程度の出演でしかない。映画の中心にいるのは最初から最後までたった2人、木村拓哉長澤まさみである。ではラブストーリーなのか?ううむ。ネタバレするが、2人はキスどころか最後まで手も握らない。というか恋愛感情があるのかどうかすらまったく不明なまま終わりを迎える。

では映画『マスカレード・ホテル』はつまらないのか?もちろん面白かった。アホみたいに当たり前の話をするけど、いくらフジテレビが宣伝しようがつまらない映画の興行収入が40億円突破することなんて絶対にないのである。劇場で見た観客たちは(若いカップルから老夫婦まですごく広い年齢層だった)まるで古典落語や、サザンの桑田が歌う『勝手にシンドバッド』や『いとしのエリー』を聴いたように、「そうそう、これだよね」という満足感に満ちた表情で帰って行った。そういう反応というのはコンサートと同じで、劇場にいると如実にわかる。彼らは何を見たのか?何度も言うけど、木村拓哉長澤まさみの2人を見たのだ。2人の愛を見たのか?ちがう。『マスカレード・ホテル』で2人の男女は最初から最後までほぼ喧嘩しかしない。そしてその喧嘩こそが観客が見たかったものであり、木村拓哉という俳優が持つ不思議な魔法なのだと思う。

 

木村拓哉は不思議な俳優だといつも思う。それこそイケメンの代名詞のように言われながら、思い返してみると木村拓哉がヒロインに微笑んだり、薔薇の花束を捧げて抱きしめたり、「君の瞳に乾杯」と言いながらグラスを掲げたりと言った、王子様のようにロマンチックなシーンはほとんど思い浮かばない。『ロングバケーション』でも『HERO』でも、木村拓哉は常にヒロインと喧嘩している。というかハッキリ言えば怒られ、叱られている。山口智子松たか子と言った木村拓哉の相手役を演じた歴代ヒロインたちも同じだ。ドラマ史の金字塔的作品の彼女たちを思い出す時、人々の心に浮かぶのはうっとりと目を閉じた彼女たちの幸福な顔ではなく、眉をしかめ腕を組み、木村拓哉と丁々発止の口喧嘩を展開する彼女たちである。そしてその怒りと不満の表情は不思議なことに、彼女たちの女優キャリアの中でも白眉と言えるほど魅力的なのだ。今作の長澤まさみがそうであるように。

ビューティフルライフ』というドラマがある。2016年に『半沢直樹』に更新されるまで13年間視聴率記録を保持した怪物的ヒット作だ。ドラマの中で常盤貴子は車椅子の図書館司書の女性を演じ、木村拓哉は腕はいいが無愛想で客からの人気がない美容師を演じた。ドラマの中で木村拓哉演じる沖島柊二は、常盤貴子演じるハンディキャップを持った町田杏子に対して献身的に奉仕したり、究極の愛の言葉を囁いて視聴者が感動したのかというとそうではなく、端的に言ってしまうとこのドラマでも木村拓哉常盤貴子はただ単に喧嘩ばかりしていたのである。そう、たいていのリアルな、普通のカップルがそうであるように。そして視聴者はその普通さとリアルさに、大きな差異を乗り越えてただ普通に、対等にであろうとする2人に打たれ、その奇跡のように危うい普通のバランスが病によって引き裂かれる最終回に涙した。それは90年代に描かれた間違いなく新しいドラマであり、賛否好悪が半ばする北川悦吏子という脚本家の今も色あせない、最も優れた仕事のひとつだった。

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『マスカレード・ホテル』で木村拓哉長澤まさみの間に横たわるのは職業の壁である。警察という日本で最もマッチョな組織と、ホテルのサーバントという顧客に従属する職業。2つの職業の正反対の在り方の中を、木村拓哉は男性と女性のジェンダーロールの境界を越えるように行き来し、力の論理とは異なるコミュニケーションのシステムを学ぶ。長澤まさみはある時はまるで美女が野獣をしつけるようにムチを振るい、ある時は「マイ・フェア・レディ」の大学教授が粗野な娘を淑女に変えるように木村拓哉を育てていく。『マスカレード・ホテル』という映画のエンジンはその2人の関係性なのだ。

週刊誌を含めたいていのおっさんというのは、木村拓哉をビジュアルの俳優だと思ってきた。というかたぶん今も思ってるはずである。だから彼らにとって『マスカレード・ホテル』の40億越えというのはさっぱり理解不能な現象だと思う。キムタクだってもう40半ばだし、もっと若くてハンサムなイケメンたくさんいるだろ?と舌打ちしてると思う。でもそうではない。木村拓哉はコミュニケーションとリアリティの俳優なのだ。彼がドラマに持ち込んだのは東京の男の子のリアリティであり、彼が演じたのは夢のように優しい王子様でもなければ主体性をすべて預けて隷属できるドS男子でもなく、普通でリアルな現実のボーイフレンドのリアリティだった。普通の男の子をリアルに演じる木村拓哉の前で、女優たちは夢のヒロインではなく、普通の女の子としてフリーに、そしてリアルに振る舞うことができた。それが木村拓哉の前で女優たちが輝く理由だと思う。ある意味で彼はドラマというフィクションのど真ん中に「木村拓哉」というドキュメンタリーを持ち込んだ俳優だった。「何やってもキムタクじゃねえか」という揶揄と引き替えに。

今年の初め、木村拓哉は「モニタリング」というバラエティ番組に出演し、そこで後輩の勝地涼から引退の相談を受けるというドッキリ企画を仕掛けられた。これが本当のドッキリかやらせか、というのが話題になったけど、どっちでも同じだと思う。番組からの事前周知があったにせよなかったにせよ、木村拓哉は企画に気がついていたはずだ。そもそも他の芸能事務所の俳優がジャニーズ事務所木村拓哉に引退相談するなんて設定がナンセンスすぎるのである。でも、木村拓哉がその相談に対して返した答え、「やることなすこと叩かれ、何やってもキムタクと言われる。けど仕方ない」という答えはガチガチのマジだと思う。今の自分にそんなことを聞けるインタビュアーはいないから自分からぶちまけたのだ。彼が何十年もやってきたのはそういうこと、まるでプロレスラーがギミックとアングルとケーフェイとブックのど真ん中で本物の赤い血を流すように、やらせと虚構のど真ん中で自分の真実を差し出すことだったのだと思う。だからあの回の「モニタリング」ドッキリ企画はある意味では木村拓哉によるエチュード(即興演劇)で、そこには彼の演技の本質があると思っている。彼はドラマの中でも外でも「木村拓哉」を演じてきたのだ。たぶん人生を賭けて。

 

 

コミュニケーションとリアリティを何よりも重んじ、「本当のこと」を青年時代から探し続けてきた俳優の耳に、ファンにとっては思い出したくもないだろうスマスマのあの回、「木村君のおかげで僕らはここに立っています」という言葉がどう響いたかは想像に難くない。そういう子どもさえだますことのできない嘘のど真ん中に木村拓哉も、他の四人も立っている。その中でできる限りの真実を観客に差し出そうとする姿勢は五人とも変わっていないように見える。どちらにせよ片方を叩けばいいと狙うメディアをよそに、『新しい地図』の映画も『マスカレード・ホテル』も商業的に成功を収めた。人間的に過酷な負荷は、結果的に俳優としての彼らに陰影を与え、深みを与えているように見える。木村拓哉中居正広稲垣吾郎も草彅剛も、天真爛漫だったあの香取慎吾さえも。暗い影を引きずり、デタラメな嘘に囲まれながら、たぶん木村拓哉はこれからも「本当のこと、普通のこと」を探す魔法使いであり続けるのだと思う。

 

あと余談だけど『マスカレード・ホテル』を見に行くと予告で『コンフィデンスマンJP』の予告が流れ、キャストが長澤まさみ小日向文世という『マスカレード・ホテル』とどんかぶりの上に長澤まさみが「カジノの金庫空っぽにしたるぜえ~」と吠えるので思わず笑ってしまう。長澤まさみについても書きたかったけど、長すぎるからまた今度に。